“寺山修司没後40年記念公演『三上博史 歌劇』

INTRODUCTION

寺山修司が生んだ俳優・三上博史が、ゆかりの紀伊國屋ホールで、寺山の世界の心髄を描く。数々の名作を熱唱・熱演!
空想の大女優・影山影子など、寺山が作り出した役を生きる!

詩人・劇作家・脚本家・作詞家・評論家・小説家・エッセイスト・映画監督・写真家・劇団主宰など・・・。あらゆる肩書きとともに時代を超えて今なお愛され、様々な人に影響を与え続けている稀代のマルチクリエイター:寺山修司。そんな寺山の没後40年という節目に、寺山によって“俳優”であり“表現者”という命を吹き込まれた三上博史が、2015年に上演された『タンゴ・冬の終わりに』以来、実に約8年ぶりに『三上博史 歌劇』を上演するべく劇場へ舞い戻ります。
共に作品を創り上げるのは、寺山修司没後20年記念公演として上演された『青ひげ公の城』で主演して以来、約20年ぶりのタッグとなる、寺山が主宰していた演劇実験室天井桟敷の後継劇団=演劇実験室◉万有引力。
そして劇場は、寺山自身が生前最後に手掛けた天井桟敷の最終公演『レミング-壁抜け男』を上演した紀伊國屋ホール(東京都新宿区)と、40周年に相応しい場所でこれ以上ない顔合せが実現します。

草迷宮草迷宮
映画「草迷宮」より ©︎紀伊國屋書店

三上博史は、高校1年生の時に寺山が監督を務めたフランス映画『草迷宮』*のオーディションに合格し俳優デビュー。寺山との運命の出逢いから数年後、紀伊國屋ホールで上演された天井桟敷の最終公演『レミング-壁抜け男』を、座席からリアルタイムで観劇していました。寺山との出逢いが俳優として生きる道を決定づけ、以来、本人が時に“呪縛”とさえ表現するほどの絶大な影響を受けてきました。そのように特別な存在である寺山修司の作品を演じ、歌い、その声と肉体を通して後世にまで語り継いでゆくことが自身の使命という三上は、2008年から現在に至るまで毎年欠かさず、5月4日の命日に、寺山の出身地である青森県三沢市の寺山修司記念館において追悼ライブを行っています。

そしてこの度、三上にとっては聖地のような劇場で、演出にJ・A・シーザー、上演台本に髙田恵篤・寺山偏陸という生前の寺山と共に幾多の名作を生んできた盟友たちが、『三上博史 歌劇』と題して、寺山作品の膨大なテキストからその心髄を紐解き、他に類を見ないステージ作品へと昇華させます。
俳優業と併行して長年音楽活動も続け、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』をはじめ、これまでの演劇活動においても芝居と音楽の見事な融合のもと表現を続けてきた三上の魅力あふれる肉声に加えて、有名アーティストのライブにも引っ張りだこの一流ミュージシャンたちが生演奏でお届けする素晴らしい楽曲や詩の数々。さらに、歌や詩の朗読のほか演劇シーンもふんだんに盛り込み、伝説的舞台『レミング-壁抜け男』の影山影子役をはじめ、三上が早替わりで演じ分ける寺山作品の多種多様な登場人物、演劇実験室◉万有引力とのアンサンブルで織りなすめくるめく場面にもご注目下さい。
劇場空間だからこそ可能となる、オペラやミュージカルとは一線を画す、“寺山×三上”が深くシンクロする歌劇をお届けいたします。


*映画『草迷宮』とは・・・
1978年に泉鏡花の小説を元に寺山修司が監督したフランス映画作品。この作品が三上博史の映画デビュー作となる。フランスでは1979年に製作・公開され、日本では1983年に公開された。
後に三上は、同じく寺山監督映画『さらば箱舟』(1984年公開)にも出演している。

三上博史の翼に乗って、テラヤマ・ワールドを駆けめぐる想像の旅へ!
サブタイトルに込められた想いと寺山修司の“言葉”

本公演のサブタイトル、「私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない」は、寺山の自伝的とも称される映画『田園に死す』(1974年公開)の主人公の台詞に由来しています。そしてこの言葉はそのまま、俳優として生き続けている三上自身を表す言葉でもあるのです。

寺山
撮影:有田泰而 提供:テラヤマ・ワールド

本公演は、長年の寺山修司ファン、三上博史ファン、演劇実験室◉万有引力ファンにはもちろん、若い世代やこれまで寺山作品に触れた経験がないという方々も、“寺山修司”に直接的に触れることができる貴重な作品となります。詩(詞)でも台詞でも小説や手紙の文章でも、「寺山の言葉を知る」ということは、知らずに生きるよりも、知った分だけその人自身の人生を想像の力で豊かにできる魔法のようなものなのです。人によっては理解し難いというイメージが強いかもしれませんが、簡単に正解を見つけようとしなくてよいのが寺山作品やその言葉の魅力の一つでもあります。単一的な解釈を強いられることのない分、受け取り手の想像はどこまでも自由にふくらませることができ、「寺山はこれをどういう想いで書いたか」という謎解きや、「自分はそれをどう感じ取っているのか」という発見に、観客や読者の一人一人が、それぞれの胸を高鳴らせるのです。寺山の言葉は、昔も今も、この先100年経っても、新しくて“エモい”のです。

三上が特に好きだと言う寺山の言葉の一つに、「どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう」というものがあります。ひととき、三上博史という俳優の大きな翼に乗って“寺山修司”の世界を旅し、日常や現実を遥かに超えて、想像の涯まで飛び立ってみませんか?

寺山修司と新宿

新宿が舞台となっている寺山修司唯一の長編小説『あゝ、荒野』のあとがきの中で、彼は新宿区歌舞伎町のことを
「私は世界で一番その町が好きだし、安心できるし、信頼もしているのである。」
と書いています。

『あゝ、荒野』『田園に死す』『新宿版 千夜一夜物語』『新宿お七』…新宿は寺山が多くの作品の中で描いた町であるばかりでなく、時に病とも闘いながらの自身の人生・暮らしがあった町でもあります。本公演期間中の1月10日は寺山の“戸籍上の誕生日”とも言われています。青森から上京した寺山が最も愛し、情熱を燃やし尽くしたその地に今も変わらず立ち続けている紀伊國屋ホール。まさにその場所で、今を生きている観客に、今も生き続けている寺山の言葉を観て、聴いて、感じることができる作品が、没後40年に産声を上げます。